カテゴリー: 日々の徒然

文章チュータリング

先日『文章チュータリングの理念と実践(佐渡島紗織・太田裕子 編)』という本を読みました。
私も大学のバイトでレポートの添削や課題の相談を受けているので、同じような立場(大学のチューターなど)の方は興味を持って読み進めることができるのではないかと思います。
全部読み終わったわけではないですが、とても役に立つ考えがあったのでここに記しておこうと思います。
(※大学での文章教育についてです。)

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ミームという概念について

先日『遺伝子vsミーム(著:佐倉統)』という本を読みました。
ミームという概念について面白く解説してくれている良書でした。

さて、ミームという概念ですがあまり一般的ではないような気がしますので簡単に説明しておこうと思います。以下の文では、私の誤った解釈が含まれる可能性があることに注意してください。

ミームは生命の進化論を考える際に遺伝子との類推で考えられた概念です。例えば、生命が進化していく際、遺伝子は前の世代から次の世代へとその形を変えながら伝わっていきます。それに対応して人から人へと伝わっていく文化伝達の単位を「ミーム(meme)」といいいます。文化伝達つまり、模倣の単位です。ミームは例えば「メロディー」や「服の流行」などがそうであるといいます。
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己の実力を見誤らないために

大学生(大学生に限らず若者全般)がその道のプロが集まる社会人の勉強会などに参加すると

「学生さんなのにえらいね~。」
「(君の案)良くできているね。」

などと持ち上げられることが往々にしてあります。
しかし、勘違いしてはいけません。彼ら彼女らは、
自分たちのコミュニティーの入口をノックしてくれたお客さんをもてなしているのです。

「将来はプロ野球選手になりたい!」という子供に向かって
厳しく現実を突きつける人は多くありません

誰しも「なれるよー。プロ野球選手ね、なれるよー。えらいねー。」といった感じになると思います。
これは、たとえプロがそこら辺の子供と話す場合でもあまり変わらないのではないのでしょうか?

つまり、何が言いたいかというと
否定意見や、批判してくれる人を大事にしたい
ということです。

自分が進みたい道の人々から褒められたとしても、鵜呑みにしてはいけないのです。
というのも、どうも舞い上がって努力を怠ってしまう方が多いように感じるからです。

やはり常に自分を客観的に見つつ、自分はまだ足りないことだらけだということを肝に銘じて勉学に励みたいものです。

人類の進化論について

今、伊藤計劃の『虐殺器官』を読んでいます。
主人公がチェコ語の教師(昔言語学を学んでいた)と以下のように会話するシーンがあります。

「ことばは、人間が生存適応の過程で獲得した進化の産物よ。人間という種の進化は、個体が生存のために、他の存在と自らを比較してシュミレートする―つまり、予測する、という行為を可能にしたの。情報を個体間で比較するために、自分と他人、つまり自我というものが発生した。そもそも『自分』がなければ『他人』もないし、そんな自他の区別がなければ『比較』もできないでしょ。そうすることで、人間はいろいろな危険を避けられるようになり、やがてそれぞれの個体が『予測』した情報を個体間で交換するために、ことばは発生し、進化したの。自分が体験していない情報のデータベースを構築して、より生存適応性を高めるために」
「ことばは、純粋に生存適応の産物だ、ということですね」
「ほかの器官がいまあるのと変わらないような、ね」

この文書は人間の進化論に関する面白い考察です。
図にまとめると以下のような感じでしょうか?

ことばと人間

ことばと人間

他人はあくまでも生存のための『データベース』に過ぎず、
そして『ことば』は他人(データベース)からデータを問い合わせるための器官である
ような事をほのめかす文章です。

実際の進化論、言語学等の研究でこのような認識が持たれているのかは分かりませんが
この考えは今後のWeb環境の発展にも大きくかかわってくるのではないでしょうか。
例えば、ハイパーテキストリンクも人間の思考を真似た文章構造です。
これは『人間の活動をモデル化』し、『電子の世界に落とし込む』という試みです。
このように『自己』と『他人』の関わり合いの形から、新たなネットワーク構造を生み出す
ような研究はあっても良い気がします。(すでにありそうですが。)
ここで重要なのはコミュニケーションの形からそのために最適なネットワーク構造
を考えることではなく、人間のコミュニケーションの形を真似てネットワーク構造を
つくり出していくということです。(ますます、そんな研究ありそう。)

また、現在のWeb構造を人間のコミュニケーションのモデルにあてはめるというのも
なかなか面白そうです。
上述の、「データベース問い合わせ」を「他人との情報交換」にあてはめるといったモデル
などがその例です。

今まで言語学といえばソシュールウィトゲンシュタインのものしか知らず、
また、あまり興味もなかったのですが、このような進化論やネットワーク構成
などの視点とからめて見ると大変面白いものになりそうです。

機会を見つけて言語学も勉強してみようと思います。

googleマップをホームページ埋め込みで使う

&z=<数字> ?(<数字>の部分は0~23の間の任意の自然数)
をアドレスの後ろにくっつけると0~23の間でデフォルトの縮尺が変わります。

ちなみに、値が小さいほど縮小します。

~以下いきさつ…~
google mapをページに埋め込もうと思い、Google マップを貼り付けるというサイトを参考にしてやってみましたが、どうも「縮尺情報」がうまく埋め込まれない。

そこでさらに調べてみたら、Google Mapsをサイトに埋め込む、iframeでの引数というページに引数(リンクの後に”&”記号でくっつける付加情報)の意味があったのでそれを参考にしてみたところうまくいきました。

フィールドワークについての講演

本日は総合研究大学院大学日本歴史専攻夏季説明会に行ってきました。(この大学に進もうという気はあまりありません。すみません。)

では、なぜこの説明会に参加したかというと、かなり面白そうな講演が2つセットになっていたからです。
その講演内容は

  • 「今, なぜフィールドワークが必要なのか」生と死の考古学―縄文時代の死生観―
  • 世界遺産の民俗学―屋久島でのフィールドワークから―

というものでした。この手の話が大好きなもので、ちょっくらお茶の水まで出かけていきました。
では、以下講義の内容をざっくりまとめて、感想を付け足してみたいと思います。

今回は
「今, なぜフィールドワークが必要なのか」生と死の考古学―縄文時代の死生観―
(山田 康弘先生(国立歴史民俗博物館))
の話をまとめていきたいと思います。(長くなりそうなので)
機会があれば、柴崎茂光先生の屋久島の話もまとめたいと思います。

1.考古学とは
最初に考古学とはどのようなものか、という定義から始まりました。

考古学とは、物質的資料を用いて人類の過去を研究し、その歴史を再構成する学問である。(当日配布のレジュメより引用)

ここで、物質的資料とは質量を伴ったもの、つまり声などは研究の対象外となるようです。また、人類の過去とは人類の誕生から現在までの機関であるちうことのようです。つまり、対象としている期間は別に大昔に限らず結構古いみたいです。

2.発掘作業について
「発掘」という作業は考古学にとって必須の作業であるようで、考古学独自の方法であるようです。
また、発掘はその場所からただ単に遺物や遺構を持ち出すだけでなく、遺物が内包する様々な情報を抽出する行為であるとのことでした。つまり、ただ単にものを掘り出すだけでなく、そのモノがどこからどのように出てきたか、ということもきちんと一緒に記録していかなければいけない、ということのようです。ただモノを掘り出していくだけの作業は、破壊行為に等しいとのことでした。

3.フィールドワークについて
山田康弘先生はフィールドワークについて、かなりの信念をもっているようでした。

フィールドワークで重要なことは人間関係の形成

だそうです。Human Communication Powerが必要のようです。
これは、これから調査する土地について、熱意をもち、面と向かってその研究の重要性を説いていくということのも重要であるということだそうです。
これ「学問の暴力」にならないためにも必要なことで、研究のためであれば何をやってもよいのかというとそれは違うということでした。

4.縄文時代の死生観
先生の研究で明らかになっていったのが、以下のような内容です。
順に段階を追って理論づけされていました。

・土器は女性の身体を表しているものが多い
・死産とうで死んでしまった子供を土器に入れて葬っていた
・母体(土器)の中に子供を戻しもう一度生まれてくるよう祈願している

ここから、
縄文時代の基本的な死生観として、再生・循環という思想があった
ことが分かるというのです。
これは自分自身のが姿形を変化させながら自然の中を循環していくという思想です。
現代では「千の風になって」などに見ることができる思想のようです。

また、
もうひとつの死生観として、系譜的死生観というものもあったということです。
これは自分が先祖になり、バトンリレーのように、命をつないでいくという思想であったみたいです。

以上が、簡単なまとめです。
詳しい内容は

生と死の考古学―縄文時代の死生観
生と死の考古学―縄文時代の死生観

に書いてあるみたいです。自分も購入して読みたいと思いました。

最後に、この講演で一番印象に残っている言葉を。

日頃から自分がその学問に対して何を付け足すことができるのか、変更を加えることができるのかを意識しておく。