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本日は総合研究大学院大学日本歴史専攻夏季説明会に行ってきました。(この大学に進もうという気はあまりありません。すみません。)

では、なぜこの説明会に参加したかというと、かなり面白そうな講演が2つセットになっていたからです。
その講演内容は

  • 「今, なぜフィールドワークが必要なのか」生と死の考古学―縄文時代の死生観―
  • 世界遺産の民俗学―屋久島でのフィールドワークから―

というものでした。この手の話が大好きなもので、ちょっくらお茶の水まで出かけていきました。
では、以下講義の内容をざっくりまとめて、感想を付け足してみたいと思います。

今回は
「今, なぜフィールドワークが必要なのか」生と死の考古学―縄文時代の死生観―
(山田 康弘先生(国立歴史民俗博物館))
の話をまとめていきたいと思います。(長くなりそうなので)
機会があれば、柴崎茂光先生の屋久島の話もまとめたいと思います。

1.考古学とは
最初に考古学とはどのようなものか、という定義から始まりました。

考古学とは、物質的資料を用いて人類の過去を研究し、その歴史を再構成する学問である。(当日配布のレジュメより引用)

ここで、物質的資料とは質量を伴ったもの、つまり声などは研究の対象外となるようです。また、人類の過去とは人類の誕生から現在までの機関であるちうことのようです。つまり、対象としている期間は別に大昔に限らず結構古いみたいです。

2.発掘作業について
「発掘」という作業は考古学にとって必須の作業であるようで、考古学独自の方法であるようです。
また、発掘はその場所からただ単に遺物や遺構を持ち出すだけでなく、遺物が内包する様々な情報を抽出する行為であるとのことでした。つまり、ただ単にものを掘り出すだけでなく、そのモノがどこからどのように出てきたか、ということもきちんと一緒に記録していかなければいけない、ということのようです。ただモノを掘り出していくだけの作業は、破壊行為に等しいとのことでした。

3.フィールドワークについて
山田康弘先生はフィールドワークについて、かなりの信念をもっているようでした。

フィールドワークで重要なことは人間関係の形成

だそうです。Human Communication Powerが必要のようです。
これは、これから調査する土地について、熱意をもち、面と向かってその研究の重要性を説いていくということのも重要であるということだそうです。
これ「学問の暴力」にならないためにも必要なことで、研究のためであれば何をやってもよいのかというとそれは違うということでした。

4.縄文時代の死生観
先生の研究で明らかになっていったのが、以下のような内容です。
順に段階を追って理論づけされていました。

・土器は女性の身体を表しているものが多い
・死産とうで死んでしまった子供を土器に入れて葬っていた
・母体(土器)の中に子供を戻しもう一度生まれてくるよう祈願している

ここから、
縄文時代の基本的な死生観として、再生・循環という思想があった
ことが分かるというのです。
これは自分自身のが姿形を変化させながら自然の中を循環していくという思想です。
現代では「千の風になって」などに見ることができる思想のようです。

また、
もうひとつの死生観として、系譜的死生観というものもあったということです。
これは自分が先祖になり、バトンリレーのように、命をつないでいくという思想であったみたいです。

以上が、簡単なまとめです。
詳しい内容は

生と死の考古学―縄文時代の死生観
生と死の考古学―縄文時代の死生観

に書いてあるみたいです。自分も購入して読みたいと思いました。

最後に、この講演で一番印象に残っている言葉を。

日頃から自分がその学問に対して何を付け足すことができるのか、変更を加えることができるのかを意識しておく。

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