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NieR:Automata」プレイしました。

PS2からほぼゲームやってなかったんですが、久々のゲームめちゃくちゃ面白かったです。面白すぎて24時間ぶっ続けでゲームやってしまいました。

このゲームですが、ストーリー、ゲームシステム、音楽、世界観、キャラデザなどどれをとっても最高なのですが、今回はストーリーの部分について思ったことを書き留めたいと思います。

あらすじ

舞台は遥か未来、エイリアンの侵略により人類が去った地球が舞台となります。
エイリアンは機械生命体と呼ばれる兵器を用い地球を侵略し、月へと逃れた人類はアンドロイドを利用して機械生命体を地球上から滅ぼそうと画策します。

物語は機械生命体を一掃するために編成された「YoRHa(ヨルハ)部隊」のアンドロイド「2B」と「9S」の両名が軸となって展開していきます。
YoRHa部隊は地球の衛星軌道上に浮かぶバンカーと呼ばれる基地で活動しており、幾度となく地球への降下作戦を繰り返してきました。地球上にはレジスタンスと呼ばれる地上部隊も多く存在し、彼らと協同しながら長い間戦争を続けています。

ゲーム冒頭はプレーヤーがアンドロイドの「2B」となって地上の大型機械生命体を殲滅する作戦に参加するところからスタートします。

人類の去った地球でアンドロイドと機械生命体は何を思うのか、代理戦争と化したこの世界でエイリアンと人類の結末はどうなるのか、えも言われぬストーリーが心を揺さぶります。

(以下、ネタバレ含むので未プレイの方はお気をつけください。)










ということでここからネタバレありでストーリについて思ったことをつらつらと書き留めて行きたいと思います。(一部推測が含まれるので間違っている部分もあるかもしれません。)

 

 

 

 

 

アンドロイド達の葛藤

自分がとりわけ関心したのは、このアンドロイド達の世界観です。

主人公である2Bと9Sは両機とも、序盤こそはあまり表立って感情を表しませんが、ストーリー後半にいたってはバリバリに感情むき出しで最後は涙まで流します。

9S(左)と2B(右)
9S(左)と2B(右)© SQUARE ENIX CO., LTD.

アンドロイド達は厳しい戦いの中でことあるごとに「人類に栄光あれ」と口にします。

9Sや2Bも戦いで傷付き、死の間際(と言ってもサーバーにデータがアップロードされていれば復活可能)などにも「人類に栄光あれ」とお互いに鼓舞します。
復活できると言っても「今」の自分は戻ってこないわけですし、ソフトウェアが汚染されてしまえば事実上の死が訪れる過酷な戦場ですので、そう単純でない感情に直面することも多々あるわけです。そうした際に自身の存在理由に立ち返るために「人類に栄光あれ」と口に出すのです。
(作中ではアンドロイドの心=ソフトウェアがウィルスによって汚染されてしまうことが事実上の死として扱われる描写があります)

ところがストーリーが進むにつれ、実はエイリアンも人類もすでに滅びてしまっているということが明らかになります。

目的を失ったアンドロイドの選択

主人公達の所属するYoRHa部隊結成の遥か前から人類は滅亡してしまっているのですが、人類を失ったことを知った一部のアンドロイド達(管理アンドロイド?)はアンドロイド達の戦意が低下してしまうことを避けるために「人類が生きていることにする」計画を画策します。
その計画の中で、YoRHa部隊は人類が生存しているという存在をアンドロイド達に宣伝するためのプロパガンダとしての機構であり、さらにはそのYoRHa部隊員のコアには機械生命体と同一の機構が用いられており結成当時から破棄される予定というなんとも虚しい境遇だったのです。(つまり、YoRHa部隊員に関してはアンドロイドというよりは機械生命体に近い)
そうしてYoRHa部隊破棄後に、「そうした部隊が人類のためにが戦っていたが現在人類は月で暮らしている」ということをアンドロイド共通の背景とするため作戦が背景で動いていたのです。

上記の計画を徐々に知り精神状態が不安定になっていく9Sと、それでも戦うことを選択するという境遇に胸が苦しくなります。

「人類を守る」という目的のために作られたアンドロイドたちが、そもそも「人類がいない」ということを知った時に、自身達の生きる意味・目的をどのように再構築するかというのがストーリーの見所の1つかなと私は思うのです。

目的を達成できない機械生命体の選択

一方で、エイリアンの作り出した機械生命体も、自己の進化の過程で主人であるエイリアンを失い「人類(及び人類が作り出したアンドロイド)を滅ぼす」という目的のために生きているため、自身の目的が失われるのでアンドロイド(=人類)を滅ぼせないという矛盾した状態にありました。

こうした状況の中、機械生命体はアンドロイドの選択とは異なる「進化の多様化」という選択を取りました。
その中で人のような感情を持つ機械生命体が数多く生まれ、中には争いを求めないモノ、狂気に身を滅ぼされてしまうモノ、アンドロイドに大切な人を奪われた悲しみのあまり世界を滅ぼそうとするモノなど多様な機械生命体が生まれました。

数多の価値観を持つ機械生命体は人類の歴史を繰り返し、そして様々な心(作中では「タカラモノ」と表現)を獲得していきます。

アンドロイドと機械生命体の葛藤

こうした争いの中で、人類を守るという目的が徐々に不明瞭になっていくアンドロイド、そして多様な価値観が存在するにも関わらず一括りに「敵」として壊されていく機械生命体を目の当たりにするゲームプレーヤーである「私」には様々な感情が渦巻きます。こうしたストーリーが個人的にこのゲームで最も刺さりました。

少しこの記事のテーマとはずれますが、個人的にかなり印象に残ったストーリーを紹介します。機械生命体に対して憎しみを抱いていたアンドロイド「A2」が徐々に「パスカル」という争いを好まないアンドロイドと触れ合う中で、機械生命体に対して心を開いていくというストーリーです。

A2 (© SQUARE ENIX CO., LTD.)
A2 (© SQUARE ENIX CO., LTD.)

かつての作戦で機械生命体により大量の仲間を失ったA2は、アンドロイドの中でも特に機械生命体に対して強い憎しみを抱いていました。
序盤、機械生命体に対して懐疑的であったA2ですが、争いを好まない機械生命体であるパスカルと出会い、パスカルの村でパスカルの教え子(機械生命体の子供)と触れ合ううちに徐々に機械生命体に対する感情が変化していきます。

パスカル(© SQUARE ENIX CO., LTD.)
パスカル(© SQUARE ENIX CO., LTD.)

ところがこのパスカルの村が暴走した機械生命体に襲われ、パスカルが教え子達に教えた感情(=恐怖)によって機械生命体の子供達が皆自殺してしまうのです。この経験に耐えられなくなったパスカルはA2に対して「自身の記憶を消去してほしい」と願います。

その願いを受け入れてA2はパスカルの記憶を消去するために彼の頭の中に入り込み、思い出を消去しながら彼の過去の記憶に触れていきます。(ここの描写が、ゲームシステムの1つであるシューティングゲーム然としたハッキングで、一つ一つの思い出をプレーヤーの手によって消去していく中で思い出が垣間見えて大変きつい)

それから再びA2が彼の村を訪れると、かつての教え子の死体(と言っても機械のパーツ)を何も知らずに平然と販売しているパスカルと会います。

滅びのデザインと輪廻の呪い

さて、この作品の前後には様々なことが起きているわけですが(「ニーアレプリカント/ゲシュタルト」などで補完できそう)、とりわけこの「ニーアオートマタ」に限って言えば「YoRHa部隊の戦いの始まりからその終わりまで」がメインとなっています。

最後のエンディングでは、2Bや9S(そしてA2)の随行支援ロボットである支援ポッドが「意思」のようなものを獲得し、その意思に基づいて壊れてしまった2Bと9S、A2を修復して新しい未来を獲得しようと奮闘するところで物語は終わります。

YoRHa部隊の呪われた輪廻から自発的に外れようとして、希望を掴んだのがもっとも機械らしい随行支援ポッドだったというのはなんとも皮肉ですが、このゲームではこうして希望が残る形でエンディングを迎えます。

ゲーム冒頭では「全ての存在は滅びるようにデザインされている。 」というナレーションでスタートしますが、ストーリーの全貌を知ると「なるほど。。」と鳥肌が立ちました。本来、滅びるようにデザインされていたアンドロイドたちですが、エンディングではそれがアンチテーゼとして用いられている訳です。

これは呪いか。それとも罰か。

ゲーム終了後にもう一度ゲームのキャッチコピーである「これは呪いか。それとも罰か。」という意味を改めて考えさせられます。

完全に私見ですが、個人的にはこの文言について「人類を守る」という目的のためにデザインされたアンドロイドのことのように思えます。
生きる目的・意味である「人類」が滅びてしまっても目的を遂行しなければならないという事実は、目的遂行のための機械としては感情を持ちすぎてしまったアンドロイドは「呪いでもあり、罰でもある」のでしょう。

ただ、そうした苦しみとその中に見える希望を丁寧に描ききっているこの作品は本当にすごい。

目的を失ったモノの呪い

さて、この作品で私が感じた「目的をなくしたモノたちは自身の目的を再構築する必要にかられるが、それは呪いとなるかもしれない」というメッセージですが、これは生きている世界でも実に多く見られることです。

アンドロイドのように感情はなくとも自身の存在理由を失ったモノは世界に多くありますし、私たち人間に関しても歴史上そういうことは多く起こってきました。
そんな時に「これは呪いだから」とその目的にしがみつくのか、輪廻から自発的に外れて希望を掴んでいけるのでしょうか。

そんなことを考える機会となる作品でした。

この記事ではストーリーの一部のことしか触れていませんが、本当にどこをとっても最高なゲームでした。
この作品製作に関わった全ての人たちに感謝したいです。

 

ニーア オートマタ – PS4

 

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